2004年9月12日
再処理を考える 充実のセミナー
日本原子力学会というところから手紙をいただいた。核燃料サイクルの在り方が問わ
れている今、再処理の役割と重要性を立地県民にアピールする狙いのセミナーの案内だ った。
五人の講演者は視点は違えども、再処理の必要性で一致していた。
末永教授は、貧しい県を救済した「地域振興」としての側面を解説し、「国策」のた
めに払った多大な努力と犠牲について力説した。
ベネディクト氏は、直接処分路線だった米国が再処理の研究に着手したと報告し注目
された。
ブスケ氏は、仏国の再処理工場が安定かつ安全な稼動を続けていることから、六ヶ所
村への支援にも自信を持っていると話した。
松本教授は、科学技術による利益はリスクと一体で受けるべきとの観点から、多重防
護の重要性を訴えた。
久保寺教授は、生活の中にある放射線の利用と安全性について身近な例で話をされ
た。
この日本原子力学会は原子力に関る研究者や関係者で構成され、総勢七千八百人だそ
うで、主催した「再処理・リサイクル部会」は十五の部会の一つで会員は約三百名。学 会が一般市民を対象にセミナーを開く事は極めて異例だとか。
静かで落ち着いたセミナーだった。二時間の講演のあと、会場からの五十余の質問に
は二時間もかけてじっくり。「話し足りない人はどうぞ」と別室も用意され意見交換は 続いた。
貴重な体験ができた参加者は二百十四名。このくらい密度の濃い対話が、事業者と県
民、国と県民、県と県民の間で欲しいなあ。そう思いながら帰路についた。
2004年9月10日
法大調査に見る 六ヶ所村民の心
むつ小川原開発問題から核燃サイクル問題まで、六ヶ所村は実にさまざまな国策に翻
弄されてきた。その村民が今どのような思いでいるのか、本格的に調査研究している 人々がいる。法政大学社会学部の舩橋晴研究室で、先日その学生達と話する機会を得 た。
〇三年に調査し発表された報告書は二百七十七頁にのぼる詳細なものだ。その多くを
住民への直接聴き取りに充てており、かなり深層に入り込んだ答えを引き出している。
興味深く読んだその一端を紹介する。
再処理工場の操業については47%が「操業に賛成」している。だが別の設問では71%
が「操業に不安がある」と答えている。言うにいえない諸般の事情から操業をやむを得 ないと思いながらも、内心では不安が一杯なのだろう。
「核燃施設は危険で環境を汚染する可能性が高い」には、69%が賛成し、「これ以上
放射性廃棄物を増やさないで欲しい」には、72%がイエスと言っている。私がもっとも 注目したのは「核燃施設の増設は住民投票によるべきだ」と言う答えが、60%を占めた 事だ。将来を左右する重大な問題まで、選良に包括的にお任せしているのではないとい う事だろう。この意味を議員や首長はよく考えるべきだ。
受益ありば受難もある。立地村民の心が上記のようならば受益と受難の程度も異なる
周辺住民の心はどうだろう。今まさにウラン試験にとりかかろうとしている時、県民の 多くは「安心」し「賛成」しているのだろうか。
舩橋教授は「青森県民や六ヶ所村民がこの問題について考え取り組む際の基本的デー
タの提供や論点整理に寄与したい」と結んでいる。
三百十一人の村民と二十五名の学生の心がこもった報告書です。皆さんもぜひ取り寄
せ読んで下さい。
2004年8月28日
全員協議会の 一問一答に興奮
今日、わが県の最大の問題は使用済み核燃料再処理工場でのウラン試験だろう。三村
知事は安全協定の締結にあたり、県議会の意向を最も重視すると公言してはばからな い。その全員協議会が開かれると聞き、初めて足を運んだ。
会場は県庁の八階の大会議室だ。ロの字の上座に議長、両側に二手に分かれて議員た
ち。下座には知事や県職員、国や事業者の代表がズラリ。窓際に記者席があり、残った 空間が四列の傍聴席だがとにかく狭い。女子職員が隙間を縫うようにお茶を配り、傍聴 席は身動きもとれない。
意外だったのは、全員協議会が一問一答であった点だ。通告質問で軽く探りをいれ、
言質を取ったのち二の矢を浴びせる。答えるほうも手短な即答が求められるので真剣
だ。案の定、ある審議官の答弁から会場がざわつき、知事が不快感を表した場面もあっ た。
質問した県議、特に若手はよく勉強しており、鋭いやり取りは聞き応えがあった。選
挙区の農業者と積極的に対話している議員の発言には、安全性と風評に不安を抱える 人々の思いが乗り移ったように見えた。
こうした真剣なやり取りを見て、とにかく時間が足りないと思った。一人三十分前後
では突っ込んだやり取りが出来ない。それは当事者はもとより県民にとっても不幸な事 だ。
よく勉強し意欲を持っている議員には存分に時間を与えるわけには行かないものだろ
うか。時間が無いからという理由で、消化不良で終わる現状は、県民にとって不幸な事 だと思うのだが。
2004年8月25日
再処理で心配な 青森県のイメージ
福井県のみなさまは、青森県にどんなイメージを持ちますか。りんご、ほたて、い
か、にんにく、十和田湖、奥入瀬路といったところでしょうか。まさに美味しさと美し さと人情が自慢です。
でも目を転じれば、青森県の六ヶ所村には使用済み核燃料の再処理工場が作られ、今
まさにウラン試験に突入しようとしています。ウラン試験が始まれば工場内部は放射能 に汚染され、後には戻れません。
日ごろ農業者や漁業者は安心で安全な食べ物を提供しようと汗を流しています。でも
消費者の評判が心配でたまらず、私たちは思い切って街に出て聞きました。「再処理が 始まったら青森県産品のイメージはどうなりますか?」と。全国からの観光客で賑わう 青森市や八戸市で聞いた結果、その八十四%の人が「イメージは下がる」でした。
事故が有ろうが無かろうが青森県ブランドの評判が落ちる、売れなくなるのです。大
変なショックでした。
福井県には十五基の原発があるそうですね。若狭湾の小鯛や鯖やかれいの評判はどう
ですか。越前そばや梅干の売れ行きはどうですか。私はかき餅も花らっきょも好きで す。
痛ましい事故で傷心のところぶしつけとは思いましたが、同じような立地に免じて許
してください。若狭の知人との名産品の交換が、友情とともにいつまでも続けば良いの ですが心配でたまらないのです。原子力との共存・・・ほんとに難しい問題ですね。
2004年8月14日
杜撰さに驚く 国の「原発評価」
美浜原発の事故の痛ましさに、遠く青森で怒りを覚え涙を流している。
片や原発十五基を擁する若狭湾、片や多くの核燃施設を誘致し原子力半島とも揶揄さ
れる青森県下北半島。人ごととは思えない。
関西電力の事故責任は当然だが、これを管理・監督する国の取組みはどうだったろ
う。86年の米国サリー原発の事故を教訓に、「減肉」傾向への対策が求められた。関 電からは「配管の安全対策は合理的に運用している」の報告が有り00年、旧通産省は 「妥当である」と評価していた。国のお墨付きとは一体なのだろう。 先般、青森県の使用済み核燃料再処理工場で不良溶接などの問題が起きた。
その後の対策と品質保証が万全かどうかについて、細部に渡り精査し「妥当である」
とお墨付きを出したのが、経産省原子力安全・保安院だ。「国が妥当と評価した」のひ と言の影響は絶大で、原燃も県当局もそれを引用する。自前で検査もしないで、まるで 黄門様の印籠のように。
もとより信頼性が低い原子力事業だ。信頼性に欠ける事業者を監督出来ないなら、国
の存在価値はない。専門家がこんなに杜撰では国民は救われない。
2004年8月14日
県境産廃の搬入 同意が最優先
「行政の主役は」と問われれば、誰もが「そりゃ住民さ」と答える。ではその現実は
となればどうだろう。このごろの県の行政をみると、本当に県民を主役と考えているの かつくづく疑問に思うことがある。
県境の不法産業廃棄物の撤去問題がそうだ。山むらさきに美しく、水明く清らかな故
郷の山が、いつの間にか都会のゴミで汚されていたと知った時の住民の驚きと哀しみ! 被害を助長させた県の職員の不適切な行動。田子町民への対応には血も涙も感じられな かった。
そして今その撤去作業において、中間処理をする青森市西部の施設への搬入問題でも
めている。紛糾している原因は単純明快だ。早くから青森市の処理業者を想定していた のに、県はその事を直前まで伏せていた。寝耳に水の住民の驚きと怒りは当然だ。
意を尽くして説明し、納得を得てから実行する。インフォームドコンセントは今の社
会の常識なのに、その手順を軽視する。計画段階から情報公開し住民の意見と参画を求 めればいいものを。役人ベースで計画を作り上げてから提示し、とにかく計画通りに推 進しようとする。
三村知事は口を開けば「県民の安心と安全を」と言い、「県民との対話を重視して」
とも言う。だが、核燃料の再処理問題での県民への説明姿勢しかり、県立高校の統廃合 問題しかり。県はことごとく手順を誤っている。新県政に期待が大きかっただけに落胆 も大きいが私は諦めてはいない。知事だって職員だって県民と目指す方向が違うわけが 無いからだ
2004年8月16日
原子力との共存 覚悟は有るのか
美浜の原子力発電所で史上最悪の事故が起きた。直径五十六aの管が突然破れ、百四
十度十気圧の蒸気が一気に噴出し人命を奪った。関係会社から配管の点検の必要性を指 摘されながら放置していた関西電力。肉厚十_が一・四_にまで薄くなっていたとは何 とも恐ろしい。まさに人災だ。
「東京電力のトラブル隠し」「関西電力のデータ捏造」「JCOの死亡事故」「再処
理工場の不良施工」「直接処分の試算隠し」。技術的問題に加え人為的な不正も相次ぎ 高速増殖炉も頓挫した。いま原子力への信頼は築くそばから崩れ、まさに満身創痍なの だ。
この異常事態に福井県の西川知事の行動は明快だ。「信頼が回復するまでプルサーマ
ル計画は先送りする」と。だとすれば、使用済み核燃料を再処理しプルトニウムを取り 出すという六ヶ所村の工場の稼動には必性が乏しくなる。
ところがわが三村知事は「遺憾の意」を表し「職員三人」を派遣したものの、ウラン
試験の安全協定については「国や事業者の動向を見極め、県民の安心・安全に重点を置 いて慎重かつ総合的に対処する」と、まるで暗唱しているかのような紋切型の発言だ。
県議会の主力会派は、異論を唱えるように見えながらも「国策だから国を信じ不退転
の決意で」と一直線だ。市町村長からも「見直し」の声はついぞ聞こえて来ない。
夏祭に来た県外の観光客に農業者が尋ねたアンケートでは「原子力施設稼動で青森県
産品のイメージは落ちる」が八十四%に上った。
農業者も漁業者も消費者も、原子力と共存するという覚悟が出来ているのだろうか。
県民と選良たちとでは意識のズレがかなり大きいように思うのだが。
2004年8月11日
核燃料サイクル 影の部分とは?
わが青森県では使用済み核燃料の再処理事業が進んでいる。だがウラン試験直前とな
った先般、直接処分の方がかなり安いという試算隠しがバレ、もめている。その渦中、
サンケイ新聞で「核燃料サイクルを考える」シリーズが始まり、二十八日は鳥居東工大
教授と飯田論説委員の議論が掲載された。
両氏は、経済面だけの比較に偏りすぎる世情に懸念を表しており、我が意を得たりと
読み進んだ。政治的な価値や倫理的な価値あるいは社会的な価値と、なるほど物事には
多面的な見方が必要なのである。
その鳥居教授は「科学技術の発展には光の部分と影の部分がある」を持論とするそう
だ。ところが紙上では、再処理の光の部分、五つの価値については議論されていたが、
影の部分については何一つ触れていなかったのが残念である。
放射能のもたらす負のイメージ、施設を受け持つ立地県民の負の心情。影とはこのよ
うな事を言うのだろうか。
確かにわが県が行なった二つの世論調査でも、八割以上の県民が原子力施設に不安と
不信を持っていた。両氏には近々に、影の部分についての議論をもぜひ見せて欲しいと 願うのだ。
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