私の決意 平成19年4月16日
突然ではありますが、4月17日告示、4月22日投票日の七戸町議会議員選挙に立
候補する事を決意致しました。
夕張市は財政破綻しました。市長や議員を選んだ市民にも責任があるとは言え、本気
で議員の職責を果たした議員が一人でもいたのだろうかと思います。十分な情報を市民 に伝える事もせずに、市民に責任と負担を転嫁するのは論外だと思っています。
全国及び県内にも、財政破綻寸前の自治体が多数ありますが、住民一人当たりの借金
額で見れば、「国」が断然トップです。その国に財源と政策を依存している青森県は、 思い切った政策転換ができない三村知事がもう4年知事をやるならば、これまでの延長 線上の政策しかできず、将来は更に暗くなると言わざるを得ません。
青森県内40市町村が子供に例えるならば、青森県は親であると言えます。死の危険
から我が子を救い出そうとする親の愛情は、残念ながら三村知事には全く感じません。
青森県財政改革推進委員会(平成15年)の委員として、痛みや苦しみを乗り越えた
先には明るい展望が見えるような財政改革プランを提案したつもりでしたが、多くの痛 みを県民に押し付けながらの単なる節約プランにされてしまいました。
政策面でも、論理破綻している核燃料サイクルを推進し、放射性物質を空と海に放出
する事を認め、安全性を低下させている本人が、「攻めの農業」と称して「安全・安 心」を首都圏で平気でPRする姿勢も、農業者の私は腹立たしく思っていました。
県政(特に原子力政策)に関わっている間に、地元(旧天間林村)でも町村合併によ
る行政サ−ビスの低下と不公平感から来る不満が高まりました。農協合併の時もそうで したが、人件費(職員給与)を抑えて健全財政に努めて蓄えてきた自分達のお金が、財 政状況の悪い相手方に遣われるという悔しい思いを、二度味わう事になってしまいまし た。合併協議会委員を務めた者としてその責任を感じている一方で、「天間林地区の議 員は一体何をやっているのか?」という不満も強く持つようになりました。
政策的な矛盾を抱えた状態の青森県を変える事も大事だが、先ずは、自分の地域(七
戸町)から変えるべきだとの思いに至りました。これまで地域の発展のために、一町民 の立場で様々な地域づくり活動を無報酬で行ってきましたが、地域の将来を思えば思う 程、活動を頑張れば頑張る程、「議員報酬(税金)をもらっている議員は一体何をやっ ているのか?」という不満が強くなりました。
合併してから2年。議会で質問すら一度もしていない議員が半分もいます。投票率は
年々下がり、特に若年層の投票率の低さには、「政治が期待されていない」という危機 感すら感じますが、有権者の意識が低いのではなく、政策や人柄に魅力を感じる候補者 がいない事も、政治離れが進んでいる要因だと思っています。
これまで、公開討論会や合同個人演説会を主催し、選挙に関心を持ってもらい投票率
を向上させる活動を外側から行ってきましたが、むしろ私が議員になって、議会を中か ら変える方がより効果的だし、七戸町を良くする政策を実現できると思いました。
日本は都市部と地方の格差が拡大していますが、天間林地区においてもその縮図を見
る事ができます。日本では東京に資本が集中し高層ビルが立ち並ぶように、地方は疲弊 していき、天間林では役場周辺に集中的に税金が投入され公共施設が建設され、農家の 多い集落はその機能を維持するのが難しい限界状態(限界集落)に近づいています。
また、七戸町民の生命と財産を守る事に関しては、私でなければできない領域があり
ます。これまでの活動もそれが目的であったように、今後もそれが私の使命だと思って 活動していきます。
選挙に出る以上、結果は当選か落選かのどちらかしかありませんが、私の生き方や活
動目的・方針が、その結果によって変わるものではありません。しかし、当選して議会 で発言する事ができたならば、私のこれまでの活動の十倍以上の影響及び効果を及ぼす 事ができると思います。
4年に一度しかない選挙というものは、見方を変えれば、自分の政策や考えを町民に
直接伝える絶好の機会でもあります。選挙期間中は一人でも多くの町民と対話をし、私 のビジョンや政策がより多くの町民から支持されるように頑張りたいと思います。
町全体をバランス良く発展させる政策
中心部の住宅整備は民間に
役場、小中学校、運動施設、公民館、公園等に歩いていける「一等地」にあり、
低所得者用の町営住宅とは言え、60〜73万円/坪もする「高級住宅」に、
所得に応じて家賃が設定されるので、「安い家賃」で入居できます。
多額の税金の恩恵を受けて入居している人に限って、地域活動に参加しない、協力
しない、会費を払わない人が多いという苦情が多く聞かれます。
入居条件に、「地域の活動に積極的に協力する事」という条件を付けるべきだと思
います。
またこの問題は、民間業者(不動産業者やアパ−ト経営者)にとっては、「民業圧
迫」となります。条件の良い場所(一等地)は民間に任せ、人口流出に歯止めがかか
らず、PFIも難しい小さい集落にこそ町営住宅を建設すべきだと思います。
「一等地・高級住宅・安い家賃」の3条件の内、「一等地」という条件を外せば良
いのです。
集落に新規就農者を呼び込む
離農した人は不便な集落で暮らす必要性が薄れ、住宅を新築する際は、利便性の高
い中心部に移り住みます。その集落には、古い住宅、農地、農業用施設・機械が残り
ます。
一方で、非農家出身でありながら就農を目指す人(新規就農希望者)は都市部には
います。そのような方に、実践的な指導ができる受入農家を斡旋し、そこで数年間働
きながら独立する準備をしてもらい、農地や住宅を購入あるいは賃借し定住するよう
な仕組みを整える事によって、集落の機能を維持していくのが良いと思います。
集落営農組織は、そのような新規就農者の受け入れが一農家よりも容易である事か
ら、町と農協が協力して、これまでの説明のみの段階から、1歩踏み込んで、各集落
に最も適したモデルを提案していかなければならないと思う。
集落で効率的に営農できる体制を構築し、労働集約型の作物の導入等、貸し手農
家・高齢者・新規就農者等を雇用する計画を作成した組織経営体には、施設・機械導
入時の補助率を高くするなどの施策も有効であると思う。
選挙日記
4月15日(日)
夜、家族に町議選に出馬する事を告げる。
4月16日(月)
9時頃、事前審査に選挙ポスタ−と届出書を持って選管へ行く。
選挙カ−は準備できなかったので、自家用車に名前を張るのは良いかどうかを相
談。午後3時位までに持ってくれば良いと言われ、ホ−ムセンタ−からテ−プや透明
なシ−トを購入。家に戻って名前をパソコンでプリントアウトし、コンビニで拡大コ
ピ−。急いで車のボディに貼り、白い紙で文字を隠し、雨で濡れないように透明なシ
−トで覆いテ−プでとめた。記者会見の時間になったので、残りの作業を妻に依頼。
説明会に参加し、選管からもらった届出書などを私に持って来てくれたY氏が、先
に七戸中央公民館に着いていた。
東奥日報、デ−リ−東北、毎日新聞の記者が来てくれた。13時から記者会見。
出馬に至る経緯を推薦人という立場でY氏が紹介。続いて私が、出馬を決めた動機
や、出馬するにあたっての思いを話した。20分で終了し、私の顔写真を撮って終
了。帰りに、Y氏の奥さんとその友人が、前日に急いで作ったというのぼり(白地に
空色で哘清悦)を頂く。とにかくありがたい。
七戸警察署で見てもらったが、「道路交通法上は、車体寸法が変わっていないので
許可は要らない。公職選挙法上で、一区画の表示が規定寸法内に収まっていれば良
い。」との事だった。私の顔写真を拡大コピ−して貼ったものが、問題ないかどうか
を確認するのに多少時間を要したが、問題ないという事になった。
手続きが終えてから警部補のK氏の部屋へ招かれた。私の顔を見た事があるという
事だったので、風評被害でテレビや新聞に出たのを見たのではないかと思いその事を
話したらそうだった。国や県の政策の問題点について5分位話をした。「選挙が終わ
ったら話を聞きに行くから。」と言ってくれた。
ポスタ−の貼り方がわからないのでY氏に相談した。両面テ−プと画鋲に決めた。
その日の夕方、選挙葉書が到着した。普通は告示前に、宛名書きは終わっているの
が普通だと思う。ここでも出遅れ。パソコン(宛名書きソフト)を駆使し、気合を入
れて宛名書き。妻にも手伝ってもらった。プリンタ−が悲鳴をあげ始め、文字の位置
がずれ始める。自動送りが効かなくなってきた。仕方なく、1枚1枚手差しで行う。
3時になってしまい、450枚で作業中止。
4月17日(火)
いよいよ告示。8時半までに会場に着た人達で抽選が行われる。
会場に向かう途中携帯が鳴る。4月22日の六ヶ所村ラプソディ−の上映会で話を
して欲しいとの要請を受け承諾する。
一回目の予備抽選は、本抽選のくじを引く順番を決める。
私は最後の方だったと思う。引いた番号は7番だった。
本抽選で引いた番号も7番。ラッキ−7が2回続いた。225分の1の確立だ。
郵便局に行ってとりあえず400枚の選挙葉書を出す。
研修生と二人で渡された地図を見ながら移動。研修生に運転させ、私は両面テ−プ
のテ−プを剥しておく。7番の場所は、看板の中央でかつ上の方になる。顔写真がな
い私のポスタ−は逆に目立っているように感じた。マニフェスト案は、看板に近づか
ないと読めない。二人で81箇所を貼り終えたのが16時頃だった。案外時間がかか
らなかった。何よりも、自分のポスタ−を貼る楽しさを味わった。
他の候補者の選挙カ−とすれ違う。車の中にスピ−カ−を搭載するのであれば、改
めて許可をもらう必要がないと思い、レンタルショップに電話し確認。「全て貸し出
していて、ハンドスピ−カ−(23w)しかない。車の中だとハウリングを起こすの
で、ボリュ−ムを下げなくてはならない。」。結局、妻にハンドスピ−カ−を借りに
行かせた。
その後農協に寄って、研修生を職員に紹介しながら、立候補した事を報告。支所長
が不在だったので明日の予定を確認し帰宅。
残りの選挙葉書の宛名書きをする。親戚や集落に人から電話が入る。皆看板を見て
驚き電話をくれた。事情を話し協力を求めた。
夜、農協青年部の先輩から携帯に電話が入る。突然出馬を決めた理由を話し、理解
を求める。中学校の同級生にも電話で報告し依頼。
選挙葉書の宛名書き作業を開始。プリンタ−の調子が悪いため、また手差し。残り
350枚を書き終えたのは午前2時過ぎ。
4月18日(水)
両親は選挙期間中も通常通り農作業(長芋の掘り取り)。
父の甥が名簿を持って来た。既に投票する人が決まっていたが、事情を話したら、
私に投票しても良いと言ってくれた人らしい。とてもありがたかった。
研修生を連れて、8時に農協の天間林支所に行く。研修生を紹介し、町議選に立候
補した事を報告し、農協ストア前で演説する事を認めてもらう。
その後、選管に電話で確認。「選挙期間中は毎戸訪問(玄関を開けて直接話をし投
票を呼び掛ける)は現金を渡す可能性があるのでダメ。選挙以外の日常生活として行
われたいた用事等で訪問するのは構わない。廃品回収のお知らせや防犯パトロ−ルの
ステッカ−を渡すための訪問であれば良い。市民活動についても従来通り行って良
い。選挙カ−を用事等に使っても構わないが、8〜20時のみ。」
禁止事項を具体的に確認した後、妻と研修生と簡単にミ−ティング。
結局、私一人で街頭演説する以外に手段がない。二人にそれぞれ他にやっておける
事を指示。選挙以外の仕事を進めてくれれば、それはそれで助かる。
農協前で街頭演説を始める。農協ストアで買物を終えた知り合いの女性が声をかけ
てくれた。「今回は投票できないが次は応援するから。」と言ってくれた。それだけ
でも十分ありがたかった。
4月19日(木)
9時から演説開始。今回選挙カ−を出している候補者は4人。私の車はボディに名
前と顔写真を貼っただけで音が出ない「宣伝カ−」だった。4人の候補者の選挙カ−
が農協前を通る時は演説を中断し、会釈をして挨拶した。選挙カ−から「哘候補、頑
張って下さい。」とエ−ルを送られる。
演説をずっと聴いててくれた老人の男性が、演説を終えたら寄ってきた。
「町長はあいさつで、”健康のためにどんどん運動して下さい”とは言うが、ふれ
あいセンタ−の使用料(1時間2千円)を取られるようになり、ゲ−トボ−ルの参加
者が減った。」と教えてくれた。小又副町長のところにもお願いに行ったそうだが、
要望が通らなかったそうだ。老人クラブの会長をしているそうだが、このような話を
私は初めて聞いた。やはり、このような情報は全町民が共有しなくてはならない。そ
のためにも町のHPに県のHPと同様に「町民の声デ−タベ−ス」を設けるべきであ
る。昨年11月の町政座談会で提案したが、まだ実施されていない。
4月20日(金)
9時から演説開始。
4月21日(土)
朝起きたら雨が降っていた。傘を持って演説するよりはと思い、テントを準備し
た。雨は弱くはなったが、無いよりはあった方が安心だ。
10時頃、農協前に人が集まってきた。結婚披露宴があるらしく、送迎バスを待っ
ている人達だった。これはまたとないチャンスと思い演説する。大型バスが2台が来
たが、15分位は演説できたと思う。私に投票して欲しいというよりも、町を良くす
る方法がまだまだあるという事を一人でも多くの人にわかって欲しいと思って演説し
た。夕方5時頃、このバスで農協前へ皆送られてきた。バスから降りて皆すぐに帰っ
たが、知っている人が何人か声をかけてくれた。
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