選挙結果


 七戸町第一(定数9)         七戸町第二(定数9)
 (旧天間林村)            (旧七戸町)
 ◇有権者数 6,903人          ◇有権者数 8,470人
 ◇投票率  81.28%          ◇投票率  77.73%
 当659 附田 俊仁 39 無新@  当820 田島 政義 63 無前E
 当583 中村 正彦 67 無前E  当816 盛田恵津子 58 無前B
 当502 田嶋 弘一 51 無前A  当709 瀬川 左一 59 無前A
 当486 天間清太郎 69 無前B  当671 三上 正二 58 無前B
 当449 工藤 耕一 72 無前D  当656 田中 正樹 68 無前C
 当409 原子 孝  54 無新C  当647 白石 洋  67 無前J
 当383 田嶋 輝雄 58 無前A  当548 松本 祐一 55 無前D
 当366 二ツ森圭吉 67 無前D  当478 佐々木寿夫 62 共新@
 当329 鳥谷部康隆 68 無前A  当416 川村三十三 75 社前C
  293 天間 章八 54 無前    406 菊地 義明 75 無前
  266 荒木田睦子 48 無新    383 岡村 光男 68 無前
  265 附田 進  62 無新
  238 簗田 喬  65 無新
  220 哘 清悦  38 無新
  118 川村 弘喜 69 無前

 七戸町議会議員選挙(4月22日投票日)に立候補し落選した私の感想。
 「選挙は議員と有権者の意識を大きく変える効果的な手段だと実感。
  楽しい面白い!次も出る!」
 平成19年4月16日出馬表明:記者会見での発言内容   
 選挙に出た事で、私が見出した今後すべき活動  


【県南新聞】
2007.4.20号
 突如の立候補、天間林の哘清悦さんの推薦人は簗田明博さん
 今回の町議会選挙は22日なので、今号に投票結果を掲載できない。結果を掲載する
と23日の発行になるからだ。”タイミング”が悪かったが、17日の告示で驚いたの
は七戸町第一選挙区(天間林)に哘清悦氏(38)が駆け込みで立候補したことだ。
 議員との対話塾や市民の会をリ−ドしてきた”政治評論家”簗田明博さんは七戸町天
間舘出身。その簗田さんが本紙に「天間林からもう一人出るかもしれない頭において下
さい」と電話をよこしたのだが、今月10日ごろだった。
 七戸町の立候補予定者説明会にも簗田氏が顔を出していたが、この時水面下で哘氏と
折衝していたに違いない。哘氏は中部上北合併協議会の委員にもなっていたし、再処理
工場について勉強する農業者の会代表や公開討論会にもボランティアとして関わるな
ど、若手の中では存在感が際立っていた。七戸町議会一般質問の傍聴にも来ていたの
で、もしかしたらと思っていた。しかし、天間林地区は原子孝、附田俊仁氏、簗田喬
氏、年明けには荒木田睦子氏もあいさつ回りを開始、定員5人オ−バ−の状況が変わら
ないまま告示を迎えようとしていた。つまり立候補予定者が昨年秋から票固めに入って
おり、もう入り込む余地がないほど激戦が繰り広げられていた。
 無謀に近い突如の立候補だが、推薦人の簗田氏は、「真面目に街頭演説をしているの
は哘さんだけですよ。良識票がどれだけ入るかですが、目標は大きいんです。知事選
挙、国政レベルに出しても恥かしくない人物ですし、この町議選出馬は決して無駄にな
らない」と述べ、次のステップにつながるとの見方を示した。
 このところご機嫌の簗田さんだが、実は県議選三沢市選挙区で初当選した小桧山吉紀
氏(56)が義弟。小桧山氏が出馬を表明してからは十和田市選挙区どころでなかった
のだ。
 その三沢市選挙区は自民党公認の森三郎氏が出馬を辞退して小桧山氏が楽勝で初陣を
飾った。
 「義弟には迷惑をかけられない、おかしな事は出来ない」と簗田さん。行動力が旺
盛、ジッとしていられないタイプなので、知事選でも仕掛けてくるだろう。

2007.4.30号
 七戸町町議選第1区 新人の附田俊仁氏がトップ当選
 22日投票が行われた七戸町議選第一区(旧天間林村)では、新人の附田俊仁氏が唯
一、600票台でトップ当選を飾った。
 高田藤夫村政時代に助役を務めた故附田豊喜氏の長男。現在の小又副町長が村長選に
出馬した時、後援会長に指名されたのが若手の附田俊仁氏だった。
 「父の村議選から25年ぶりの選挙でしたから、すべて一からのスタ−トでした。9
番以内を目標にしてきたので、トップと聞いて自分でもびっくりしています。私の得票
よりも告示三日前に名乗りをあげた哘清悦さんの票の方がすごいですよ。とにかく責任
の重さを痛感しており、精いっぱい頑張りたい」と語った。

 政策が通用しないことも分かった、でも疲労感より充実感でいっぱいです
 七戸町町議第一区(天間林地区)に告示直前に名乗りをあげた哘清悦氏(38)は2
20票を獲得し、大方の町民から「短期決戦で200票台は大したもんだ」と高い評価
を受けている。
 合併協議会の委員も務め選挙の公開討論会などのボランティア活動にも精を出してき
た哘氏は町外でも広く知られていた。その哘氏が告示直前に出馬を表明、誰もが驚きを
隠さなかった。
 特に一区の天間林地区は年明けから定員5人オ−バ−の状況は変わらず、激戦が伝え
られていた。もう新人が割り込む余地はなかったに等しい。
 誰の目にも無謀な挑戦と思えたのだが、哘氏は「私は各候補の公約、マニフェストを
見て1票を投じてきた。ですから決めるのは告示後ですよ。選挙は全くの素人ですし、
私なりの尺度で出馬したが、今選挙で政策が通用しないことがわかった。そのへんのギ
ャップは大きいが、一方で無党派がいることも分かったし、私の公約に目を通し、色々
意見を寄せる人もいました。中には”次は応援したい”という人もいた。ですからコミ
ュニケ−ションを深めることが出来たし、一定の成果を収めたと思う。今は疲労感より
充実感でいっぱいです」と語った。
 今後の去就については、「私も合併協議会の委員の一人だったので、合併後に住民サ
−ビスが低下している点や農業の担い手不足が深刻化している状況は心配ですし、これ
からも住民のために情報だけは伝えていきたい。選挙については家族や親せきから”
年後に頑張れ”と激励を受けた。特に父から”このような選挙ならよい”と言われた。
次は七戸町全体になるので選挙を意識してアピ−ルしていきたい」と語った。
 推薦人の簗田明博氏(天間舘出身)は「何の準備もしないで、220票は上出来です
」と検討をたたえていた。


鹿内ひろしのまごころト−ク(No.11)(2007.4.24)
■石岡さん、哘さん、次を目ざして
 22日投票の市町村議選で、弘前市の石岡千鶴子さん、七戸町(旧天間村区)の哘清悦
さんは、当選できませんでした。残念です。そしてお疲れ様でした。さらに、お二人と
も次を目ざしてガンバルとのこと。
 石岡さんは二期目への挑戦でしたが、当選に98票足りない次点でした。合併後初めて
のむずかしい選挙であったと思いますが、次に生きると思います。
 哘さんは、「市民とマニフェストあおもり研究ラウンジ」に参加している農業人。初
挑戦で、しかもほとんど事前準備も無く、ポスターも顔写真の入らないマニフェスト中
心のもの。選挙カーも選挙区内を走らせずに、農協ストア前だけの街頭演説を朝から晩
まで、時々休みながら5日間やり通すと言う、従来の選挙スタイルを180度変える「哘
スタイル」でした。その結果は得票数が220票と、当選にあと110票足りない、次につな
がる成果だったと思います。
 二人の他にも私がおつき合いしている市町村議会議員は何人かいますが、その人たち
は何度か当選していて今回も当選しました。
 議会活動や選挙の経験を重ねて、今回の当選につながっているようです。私も市議選
に挑戦して二度落選しています。落選」はしたくはないものですが、「落選」の経験を
いい方に生かしたいものです。
 ガンバレ、ガンバレ、石岡さん、哘さんです。 (続く)

古村一雄の雑記帳(2007.4.22)
統一地方選後半の、町村議選の開票作業が始まった。
結果が気になる候補者は少なくないが、七戸町議選の天間林選挙区(定数9に15名が
立候補)に名乗りを挙げた『さそう清悦』候補は、マル特で気がかりである。
『ロ』部(左)に『行』を書いて『さそう』と読む。
私の漢和辞典には載っていないが、字の格好からして『誘う』を連想させる。

選挙最終日の21日、予定を変更して駆けつけた。
旧天間林村なので、文治さんを誘って出かけた。

彼は、天間林農協の道路沿いの駐車場に選挙カーを置き、かたわらに天幕を張り、小さ
な携帯スピーカーを肩にかけて、農協ストアに向かってしゃべっていた。
何をしゃべっているのか、音量が小さいこともあって、途切れ勝ちで聞き取れなかった
が、町財政や職員問題、コンピュータ活用を訴えているようだった。
この5日間、終日、同じ場所で、同じスタイルで押し通してきたというではないか。

ポスターは横書きで、最上部に漢字で氏名を大書きし、その下には図表なども添えられ
ていたが、顔写真はなく、箇条書きの公約文で埋まっていた。
選挙カーといっても、車体の横に氏名を、前部に演説開始の時間を表記した紙をセロテ
ープで貼りつけただけで、選挙カーのイメージはまったくない。
漢字の氏名を縫い付けた桃太郎旗が2本、左右のバックミラーに立てかけていたが、倒
れかかっていた。

私どもとはまったく次元の異なる、自力本願の選挙スタイルで闘っていた。
いたたまれず私は、桃太郎旗を持って道路向かいの旧役場前歩道の縁石の上に立って、
数少ない自動車に手を振ったりお辞儀をしたりした。文治さんもぎこちなく手を振っ
た。
でも、車からの反能は結構ある。
おばさんから飲み物の差し入れもあった。近所の人だという。
昼ご飯は、農協ストアの弁当だという。差し入れもあって困らないとも言った。

15分しゃべって、30分休む。その繰り返しだと、こともなげに言う。
また彼は、天間林選挙区では、ここが一番人通りが多いからだと、その理由を大真面目
で説明した。
そして彼は、知事選を非常に心配していた。
彼と私は1年に1回、出来秋に青森市で、反核燃運動の一環として農産物の直売をして
いる仲である。
もちろん、仲介者は鹿内県議である。

彼には勝って欲しい。
そして選挙スタイルを変えるきっかけとなって貰いたい。
なぜ、マスコミは、彼のような候補者に注目しないのだろうかとも思った。
従来型の、他力本願の選挙スタイルから抜け出せない私は、陣中見舞を手渡すことをた
めらい、いわゆる選挙カーの座席に忍ばせて、小一時間で彼の戦場を後にした。

文治さんとは、温泉に入ることにしていたが、湯道具は使わずに終った。
とにかく疲れた。家で1時間ほど仮眠して、後援会役員会をすっぽかしてしまった。
その後の慰労会には間に合った。慰労会では、なにごともなかったかのように勝利の笑
顔を振りまいて、みんなと握手を交わし、おしゃべりを満喫した。


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